第5回 デジタル・モンスター


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 白を基調とした空間がある。
 六畳ほどの狭い部屋だ。
 デスクやその上に置かれているコンソールなどの調度品は青の色調で揃えられていて、この部屋の持ち主の特徴や趣味がよく表されている。
「はぁ……まぁこんなもんかな」
 リクライニングチェアが軋む音を立てながらゆっくりと歪んでいく。
 背もたれに体重を預けるのは白衣を着た部屋の主。
 黒い長髪の少女、沖あいこだ。
「しっかし、けったいな量の情報やったなー、整理するだけで一苦労やで」
 あいこは今、この世界における構成情報について、概要をまとめあげていたところだ。
 ヴァルキリモンからの依頼で、だ。
 冥府の管理者を務める以上、世界に対しての知識は正しいものでなければならない。
 だが、多世界化において構成情報の分岐は無限ともいえる種類を生みだしたために、自分たちの所属するDigital Worldを正しく理解するためには情報の特定が必要不可欠だ。
 そのために、今では冥府・Dark Areaの管理に従事している沖あいこをはじめとする三人の少女に、ヴァルキリモンがそれぞれ協力を仰ぐ形となった。
「……ま、それも終わった話か。終わってみればつまらん仕事やったな」
「主よ」
 あいこの愚痴に反応するように、彼女の傍らに姿を現した影がある。
 影の正体は、金色の仮面をつけた一角を持つ赤き蛇竜。
 元・沖あいこに憑依したデジタル・モンスターにして、彼女のパートナーとして冥府の管理を務めるメガシードラモンだ。
「これも全て今後この世界に訪れる者たちが道を違えぬようにするためだ。文句を言いたくなるのも解らないでもないが、ようやくここまで終わらせたのだ。貴様は愚痴をこぼすのではなくもっと誇るべきだ」
「なんや、アンタが私を褒めるなんて珍しいな? 気色悪っ」
「まぁ……たまにはそういうこともある」
 いつもの調子でパートナーに悪態をついてみたものの、あいこは勢いのない相手の返答に戸惑いを覚えた。
「……」
「や、やめぇや。ほんまに気色悪いで」
 相手の沈黙に、思わず悪態を重ねてしまう。
 だが、同時にありがたいな、と思う気持ちがきた。
 多分、向こうは本心からこちらを気遣ってくれているのだろうと、そういう確信があるからだ。
 どうしたものか、とあいこが会話の展開に悩んでいると、不意にあいてから言葉が出た。
「実際問題、貴様が世界の概要を整理しなければ、新生した世界群の波に埋もれた情報は理解できないままだったんだろうな」
 蛇竜の表情は読みづらい。ただでさえデジタル・モンスターの多くは人間とは異なる顔や体を持っている。その上、目の前にいる自分のパートナーの顔は仮面に覆われているというのだから尚更だ。
 しかし、顔は見ずとも声を聞けばわかる。
「……急に改まってどうしたん?」
 メガシードラモンが、いつもの茶化した空気を今は拒絶していることを。
「あいこ。デジタル・モンスターとは何なのだろうか」

     ●

「え?」
 目の前の少女が素っ頓狂な声を出す。
 少し面白い。
「いやなに、私はデータを整理していく過程でふと気になってしまったのだよ――自分自身の、いや――デジタル・モンスターという存在とは果たしてなんのために生まれてきたのか、と」
 この話は今に始まったことじゃないと、メガシードラモン自身もわかっていることだ。
 実際、沖あいことは何度かこういう話をする機会があった。
 存在とはなにか? そんな哲学や禅問答のような話を持ちかけると、彼女は決まって、
「……はぁ」
 こんな風に苦い顔をする。
 理由は明確。
 何故と問われれば、すぐに解答が出るような話だ。
 ならば、彼女はすでに解が用意されている話題を、わざわざほじくり返すのがいやなのだろうか?
 答えは否だ。
「アンタはその話、大好きやな」
「貴様はこの話が嫌いなのだな」
 より正確に言うならば。
 彼女はこの話と言うよりは、その問いに対する『解』が嫌いなのだ。
 そもそもこのDigital Worldにおいてのデジタル・モンスターとは、沖あいこのような人間をプログラムするための試作品としてその生を受けた。
 外側の人間の都合で造られた命がデジタル・モンスターである――これが問いに対するこのDigital Worldにおける一般的な解だ。
 その解に対して、沖あいこは異常なまでの嫌悪を示すように思う。
 その答えはあまりにも残酷で傲慢だと切り捨てたくなるのはわからないでもない。
 ヴァルキリモンから事情を聞いたときは自分も同じように憤り、また哀しんだことをメガシードラモンは忘れていなかった。
 だが。
「まぁそう嫌うな主よ」
 蛇竜はその問いに対して、また別の解があるのではないかと、そう考えていた。
 それはある意味、あらかじめ用意された解を疑う愚考なのかもしれない。
 自ら答えのない迷いの森に足を踏み込む行為だ。
「デジタル・モンスターが本当に人間の試作品だとするならば、私たちが貴様らに干渉するメリットなどあるのか?」
 デメリットならば腐るほどこの目にしてきた。
 前提条件としてユグドラシルの崩壊というアンタッチャブルがあったとはいえ、自分たちは人間の世界を冒す行為を繰り返していたのだから。
 本当に人間の試作品だとするならば、危険性のある自分たちデジタル・モンスターから隔離した、互いに干渉することができない安全な場所にシミュレーターを作り上げるのではないか。
 そんな風に、メガシードラモンは一つの解に対して疑問を投げかける。
「いや待て待て、そもそも試作品って……今となっちゃこの世界での都合やろ? ホストコンピューターのユグドラシルが管理していたこの場所でならともかく、他の世界じゃもう理由は通用せぇへんで」
「そこだよ、我が主。貴様のその時々見せる鋭いところが嫌いじゃない」
 メガシードラモンは内心ニヤリとせずにはいられなかった。
 話し相手が自分の意図しているところを的確についてくれるのが嬉しい。
「つまり、いまやデジタル・モンスターの生き方は散らばる世界の中にさらに散らばっている個体数だけあると言っていい。試作品故にプログラムされた生存本能や闘争本能に従う者はすでにマジョリティではなくマイノリティの域に達している」
 もはや数え切れないほどの個体を抱えた無限大の世界は、シミュレーターではないそれぞれの存在理由がある。
「――それを奇跡の代償とみるか、それとも効果とみるかはまた別の話だが――」
 多数化した理由を追っていけば、自分たちと同じように試作品としての命を授かった同類もいるかも解らないが、それこそ少数派の一理由でしかないとメガシードラモンは考える。
「……アンタの言いたいことがよう解らんな。そこまでご大層に風呂敷広げてもうて、この話にどう決着つけるつもりや?」
「別に決着がつくような話をしているわけではない。それは貴様も重々承知しているだろう?」
「そらまぁそうやけど……私はこういう思考ゲームじみた話は眠くなってしゃあないわ」
「まぁ聞けよ我が主。じき貴様も眠気がどうとか気にならなくなってくるさ」
「……わかったから、さっさと続けとき」
 まったくしょうがないパートナーだな、と退屈そうにしている沖あいこを目の前にして蛇竜はあきれる反面、続きを促しているパートナーを面白く感じた。
(……まぁ、面倒くさいから早めに話を切り上げたいからだとは思うが……)
 せっかく続きを求めてくれたのだから、とメガシードラモンは話を先に進めていく。
「結局のところ、奇跡以前、奇跡以後で私たちデジタル・モンスターの存在意義は大きく変わってくるってことだ」
 そして、世界にもたらされた奇跡は現在や未来だけではなく、もはや過去にさえ干渉しているのではないか。
『奇跡』の影響はDigital Worldの多世界化に止まらず、Real Worldさえもがあたかも前々からそうだったようにいくつもの並列世界として変革された。
「それはもはや『奇跡』などではなく、もしかしたら世界の誕生を司る、起こるべくして起こった神話にも似た『必然』だったのではないか、と考える」
 メガシードラモンの持論は、もはや現在ではなく奇跡がもたらした過去への干渉に思考の枝を巡らせている。
「ならば」
 メガシードラモンは言う。
「その上で――今までの話を前提にした上で、私は問う。本当は私たちデジタル・モンスターは、試作品などではなかったのではないか」
「……は?」
「つまりだ」
 蛇竜の推論は止まらない。
「私たちが奇跡と呼ぶ現象が過去にまで影響を及ぼしているのならば、もはやこの世界は始まりの時からしてシミュレーターとしての存在理由から大きく逸脱しているのではないか、という話だ」

     ●

「いや……いやいやいやいやいや、そらアンタ、アヌビモンの多世界化論に匹敵するくらいの暴論中の暴論やで!? そんな訳あらへんやろ!」
 少女はそう結論づけた――いや、新たな疑問を投げかけた己のパートナーに思わず手のひらを打ち込むことによってつっこみを入れた。
 当たり前だ、とあいこは強く相手の意見を否定する。
「しかし、前冥府の管理者の暴論が正しかったからこそ奇跡は起きたのだぞ?」
「それはそれ、これはこれやないか。……そないな暴論が通ってしもうたら、私がいままで苦労してまとめてきた情報全部が嘘っぱちってことになるんやで?」
「そんなことはない。むしろ貴様が整理したデータは強く私の意見の正当性を裏付ける他でもない証拠だと思っている」
「はぁ? どういうこっちゃ」
 続けられる暴論の展開に、呆れを通り越して憤りさえ覚える少女だったが、そんなことは構わないとでもいうようにメガシードラモンは推論の展開を続けていく。
「貴様はこの仕事をするときに、情報として残されていた砂原拓人が辿った軌跡も、もちろん閲覧してきたのだろう?」
「……当たり前や。無数に枝分かれしたDigital Worldの情報をまとめる上では、その枝分かれの原因となったタクトのいたころの世界のデータは重要な参考文献やからな」
「ならば、貴様は不思議に思わなかったのか?」
 なにを、と聞き返す前にその答えを蛇竜が言う。


「砂原拓人が過ごしたReal Momentでは我々が顕現した例がいくつも存在するにも関わらず、彼が移住したReal Worldの歴史に、過去デジタル・モンスターが現れたことは無いはずだ……と」


「……!」
 ようやく、少女は己のパートナーがなにをもってその推論を述べていたのかにたどり着く。
「そもそもがおかしな話なのだ。本当にここがシミュレーターとしてのDigital Worldだったのなら、世界の外側である向こう側には明確にシミュレーションの結果として我々デジタル・モンスターが顕現していなければ不自然すぎる」
「け、けど。シミュレーションの結果として向こう側には何らかの形で影響が……」
「本当にそう思うのか?」
 メガシードラモンは更なる疑問を少女にぶつけてくる。
「前冥府の管理者はデータの中でこう言ったな。名前は違えども、同じ構成情報をもった人間が向こう側にも存在する、と」
 それはあいこを始めとして、三森あかねやアリシア・アルトレインが世界の外側にもう一人いるということだ。
「だが、Real World時間の二〇〇八年の夏に砂原拓人改め佐山勇治は手紙を受け取ったことをこちらで確認したではないか」
 二〇〇三年に死亡するはずの砂原拓人の個体は、二〇〇八年以降も生存している。
「いくら構成情報が同じだとして。名前が違えば住んでいる場所さえ異なっている――これのどこがシミュレーション結果と適合するというのだ?」
「…………」
 返すべき言葉が見あたらない。その思考に沿うように少女は自然と絶句する。
「真に奇跡が過去へと干渉していたのならば、この世界の始まりから――もしかしたら終わりまで――シミュレーターとしての存在理由は無かったことになっているかも知れない」
 それが私の疑問の理由である、と蛇竜は話を締めくくる。
 確かに、メガシードラモンの言うとおり、ユグドラシルの崩壊をきっかけにこの世界は正しいシミュレーターとしての役割を失っている。
 だとすれば、このDigital Worldに住まうデジタル・モンスター達の存在理由とはなんなのだろうか。
 闘争本能、生存本能に従うままにReal Momentへと顕現してきたデジタル・モンスターの中に、別の目的があって死の運命をねじ曲げた個体がいたとしても、もはやなんら不思議ではない。
 少女は考えもしなかった物語の可能性に、もはや思考を巡らせずにはいられない。
 別の目的があったデジタル・モンスター。
 生存本能に従わない、逸脱した行為をした者がどこかにいたのではないか。
 自分が追ってきた砂原拓人の軌跡、そこに不自然な部分はなかったか。
 あの物語は自然な流れのまま幕を閉じたという結果に、違和感を感じずにはいられない。

「我が主よ。その違和感に答えを出すかも知れないデータは、すでに貴様がまとめてきた情報の中に含まれていることに気付いたか?」

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「……私の、お父さんのことやね?」
 自分の身辺のこととなるとさすがに聡いな、と蛇竜は重く深く頷いた。
「貴様の父・沖誠司はあまりにも不自然に兇変した。彼に必ず何者かの意志が働きかけていたことはこれ以上ないくらいに明らかだ」
「いや……でもでも、それが誰かなんて、わかりっこないやん」
「それはどうだろうか?」
 蛇竜は今一度、己の迷いに向き合おうとしている少女に道筋を示す。
「貴様が情報をまとめるうえで、閲覧していない過去のデータがまだあっただろう」
 それは空白の二年間。
 砂原拓人がアヌビモンという力を一時的に失ってから、三森あかねに接触するまでの一七〇〇〇時間以上にも渡る、あまりにも大きすぎるミッシングリンクだ。

「――“戦争”か」
「そう、そこに答えはあると見ていいだろう」

 蛇竜は見てきた。
 己のパートナーを、おそらく一番近くで見てきて、そして気付いた。
 沖あいこには砂原拓人とは別のところに憂いを抱えていることを。
 それは顕現したばかりの自分では考えられない、真に己のパートナーを信頼し、思っているからこその提案だ。
「覗いてみるか、そのミッシングリンクになにがあったのか――己の憂いに決着をつけるために」
「……そこに答えが見つからなかったら?」
 少女の不安げな声に、蛇竜は不遜な態度で応える。
 心配はないと。
「なに、見つからなければ見つからなかったでいいではないか。なんにせよ今の冥府の管理者に提出するデータは詳細な方がいいだろう?」

     ●

 ちょっとした寄り道だよ、我が主。
 そんな風にパートナーは言う。
(……素直やないな)と苦笑いを浮かべた少女は、自分もまたひねくれ者だということに気付いて、
「やれやれ――」
 と肩を竦めて見せた。

「――ほいじゃ、ちいっとばかし残業といきますか。付き合うてくれるよな?」
「無論だとも」

 ありがとな、とあいこが呟く。
 蛇竜と少女は、まだ過去の情報を表示しているコンソールに視線を移した。
 少女は椅子に、蛇竜はその隣に座して、検索を開始する。

 己の憂いに、答えを見出すために。




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